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ここは、ファインが日常を語るところです。ジャンルは広めです。
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最近は荒川アンダーザブリッジにはまったりとか。
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多くをするのは易しいが、一時を永続するのは難しい。
―ジョンソン―

なんでもかんでも三日坊主。
色々なものに挑戦するのはいいけれどすぐに挫折したら得られるものは少ない。
一つのものを極めてみたほうがいいということですね。


>まほらば~さん
>まぁ、その過程で鷹野達のような子供を虐げていた施設の奴らも、カスしかいないようであれば施設がふっとぶとか不幸な目に合おうと、「知ったこっちゃねえや」で片付ける~。
言い分を理解してあげたいのも山々ですが、その言い分は罪と等しいとは思えません。
「因果応報」「罰が当たる」という言葉がありますが行った罪に対して必ず報いが訪れます。
鷹野らに対して残虐なことをしていた奴らは「知ったこっちゃねぇや」というよりむしろ「報いだな」と言った感じですかね。
昔から言われている通り、行為に対して報いはやっぱりあるような気がします。
日ごろの行いが悪い、良いも日ごろにしていた結果がいつか返ってくるという事だと思う。
罰が当たる、なんて言葉小さい頃からよく言われました。
まぁ仕組みなんて知りませんし理解しようと思いませんが、一般から見て『悪い』と思われるようなことをした人に対しては救いようのない事は事実。
罪は罪ですが大きさややっぱり程度も人の感じる同情には関係あるんでしょうけどね・・・。




しかし人の心はホントに分からない。
例えば
普通の生活をしている子供が
万引きをして逮捕される。
これには確実に同情しない人が圧倒的でしょう。
何故同情されないか。
これは罪の大きさはあまり関係してない。
「万引きしたかったのか・・・仕方ない」
より、どちらかというと
「何故こんな事をしたのか」
「万引きとは情けない」
と呆れやこいつアホか、という意見が出てくるでしょう。


逆に凄く貧しくて日ごろから普通の生活すらできていない子が万引きをして逮捕されてみましょう。
たぶん
「何故こんな事を・・・」
というより
「可哀相に・・・」

という意見も出てくると思われます。これが同情。
気持ちを理解してあげる・・・それが同情・・・?


自分も同じ立場になるとしたら、自分も同じ事をしていたかもしれない・・・と感じて同じ情になるということでしょうか。
罪の度合いは同じなのに加害者の環境や状況によって感じるものは180度変わってしまう。何だか不公平のような気もしますがね。


ただ犯罪の種類が変わると意見もコロッと変わるんだな、これが。
例えばいじめ。
知り合いA知り合いBをいじめると知り合いAが悪いと多数が思うでしょう。
(たまに虐められている方が悪いとか意見がありますが、ドラえもんではジャイアンとのび太の関係はのび太に非はないと思われる。)
最近は虐めで自殺にまで発展するケースもあり、虐めは絶対悪と捉えられてますね。
だから例え知り合いAが生活が不自由してようと、過去に苛められた経験からだとかあろうと苛めた方が一方的に悪いと感じられる訳です。
まさか「家でストレスがたまってるから学校で虐めか・・・。まぁこういう事もあるだろう」とはならないかと。
「こんな事しなくていいのに・・・」
と否定が入れば同情は難しい・・・・・・。


この場合はもし自分がAの立場でもAと同じ行動は取らないだろ・・・という事もあって同情が得られにくくなっているのだと考えられます。


つまり同情は言葉の通り情が同じにならないと発生しない訳で・・・。

だからひぐらしで目明し編で詩音が多数の人間を殺しても同情は出来ないわけで。
自分が詩音と考えても、大勢の人を*そう何て思いつきません。
今までしてきた罪を考えれば詩音がどんな目に遭おうがどうなろうが「仕方ない」となってしまう。
鷹野が”大災害”を発生させて、犠牲者を多数出したときも同情は出来ない、鷹野自身に何が起ころうとも、これもまた「仕方ない」と考えてしまう。
ただ鷹野の過去の悲惨さを感じれば同情もあるのかもしれない。
それを同情と呼ぶのかは疑問ですけど。(また別の感情?)


しかし罪の大きさ(こういう言い方はまずいですが)で同情するかしないか・・・というのは少し悲しいかな。


罪は罪だ!!

と言い切れればいいが、どうしても其処に同情という念が入ってしまう。



まとめてみれば


罪は罪・・・と割り切れる事は難しい。
同情次第でその罪は少し軽く感じられてしまう~。
事件の大きさ・事件発生の理由は大きく関連付けられると思われましたとさ。ちゃんちゃん・・・。

まとまってねー
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無題
一時的かあ。
ネタが蓄積しているとホントに大変\(=ω=.)/

まぁ、善悪についてはかねてから言ってる某論理が結構客観的かもしれない~?
因果応報のような感じの言い方に思えるかもしれないけど、根本はそれっぽくても厳密には違うからよろしくさん。

して、その某論理っていうのが、『善悪の全ては自身に回帰する』ってやつですよ。
まぁそこに感情が入るからややこしいのは確かだけど~。

つまり、虐待プー団が酷い目にあっても「知ったこっちゃねえや」っていうのは感情が半分あるだろうけど、残りは酷い目に合わせてたから自分達も酷い目にあっただけの話、というわけなのですよ。正確には天罰っぽいのが下るのも下らないのも運任せ~?
不運じゃなくて人為的なことだったとしても、それはまたその原因さん達に回帰するのであって、プー団の不幸とは別の話。

不幸を与えた『から』、自分達も不幸になった、
じゃあなくて~
不幸を与えて、自分達も不幸を与えられた、とそれだけ。
イジメっ子の話についても同じかな。
家庭とかのどんな事情があるのか知り得ないだろうけど、弱者を傷つけてるんだったら何も言えないんじゃない~。
そのうち自分の方がよっぽど酷い奴になっちゃってさ。

だから最終的にはやっぱり、行いの全容と感情が尾を引くんだな~。

ふと考えてたけど、意外に悪意ってのは善意と紙一重なのかなと思った。

良かれと思ったからやって裏目に出ると、やった本人は「余計なことした」と感じよね。
相手にとってはそれが妨害のような仕打ちだと思うのかな。それで責めたりとか。
でも結果が上手くいったりすると、今度は責めた方が申し訳ないと思うわけで。
よく漫画とかである誤解(?)ネタだけど、そんな感じ?

まぁ、自分は毎回この理論の弱点をいつも考えてる。
自分の行いは全て正義だ、とか思ってる類の人間がこの理論を叫ぶと最悪なことに(´・ω・`)

人間どうしても傲慢になっちゃうものなんだろうけど、そうやって自分の方が正しくないかも?と卑屈っぽい方が案外上手くいったりするのかな~?

てゆうか、めがっさ長文だったね。ごめんよいorz
まほらば~ 2008/03/30(Sun)20:48 #EDIT
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